
たんぽぽにのって
季節外れですが、たんぽぽに乗って遠いところまで愛としあわせを運んでいく…このシチュエーションが好きなので。
当分、アップもしていなかったので、詩は書けませんでしたが載せてみました。
最近、言葉がでてこないなあ…。
落ち込んでいるわけではないけれど、いろいろ忙しくて。

たんぽぽにのって
季節外れですが、たんぽぽに乗って遠いところまで愛としあわせを運んでいく…このシチュエーションが好きなので。
当分、アップもしていなかったので、詩は書けませんでしたが載せてみました。
最近、言葉がでてこないなあ…。
落ち込んでいるわけではないけれど、いろいろ忙しくて。
先日、知人が企画した「Save Darfur」という勉強会に参加してきました。
スーダンのダルフール紛争です。
日本では、中国批判にリンクして政治的に扱われることの多い紛争ですが、その実態に関しては多くの人が知らないでしょう。
バルカン半島での民族浄化に勝るとも劣らない悲劇が、今も進行中のようです。
残念ながら、インターネットが発達した現代においても、日本人にとって、アフリカはやはり遠い国なのでしょうか。
はじめに、アメリカでつくられたDVDを観ました。
もちろん、そのあとのDiscussionで誰かが言っていたように、そこには、もしかしたらアメリカという国の政治的意図が含まれているのかもしれません。
背後関係も含めて、当事者でないわれわれには、軽率に善悪を決めつけることもできないでしょう。
けれど、そのビデオの中で虐殺を生き延びた青年の涙ながらの言葉が胸に響いてきました。
「my mother… my brother… my cousin… my friend… my relative…」

そこに、愛する人を目の前で殺された胸を引き裂かれるような痛みが存在することは事実…。その重みが、二日経った今も心から消えません。
その援助のために知人は立ちあがろうとしていました。できることならば、応援してあげたいとも感じます。
ただ、もうひとこと、残った言葉があります。「still dying…」。何か、聞き覚えのあるフレーズでした。
「There are people dying…」…そう、『We are the world』の歌詞です。
僕は思いました。あのころからずっと、アフリカでは人が殺され、飢えて死に続けている。
おそらく、Darfurで何かを成したとしても、それは本質的な解決にはならないでしょう。
もちろん、溺れている人がいれば助けるように、今、まさに死につつある人々に手をさしのべるのは絶対に必要なことです。
でも、同時に、もっと大きな視点で考えるべきこともあるように思うのです。
溺れている人を助けることはできます。しかし、それで、その人の人生まで救うことができたと考えるのは間違いです。
もし、その人が人格的に問題を抱えていたり、人生の中での困難を抱えているとすれば…、それはその人自身が解決しなければなりません。
くしくも、そこでも誰かが言っていました。「他人と過去を変えることはできない。変えることができるのは自分と今だけだ…」。
スーダンという国が、平和な国になるためには、スーダン人自身が立ちあがらなければならない。それだけは確実な事実です。
…ただし、だからといって何もせずにいるには、そこで起きている悲惨な事実は重すぎます。
過去に書いた詩が、もう一度、大きな重みをもって、僕の中に響いてきます。
『呵責 …眠れない夜に…』
引退したサッカー選手は今 世界を旅しているという
自分に何ができるのか何ができないのかを見極めたいと…
僕に何が出来て何が出来ないか
じっくりと見極めることもできないままに時は過ぎていく
成したいこと為すべきことは限りなく多い
けれど一日には24時間しかないもどかしさ
腕は二本しかなく 脚は一組しかなく
同時に見つめることが出来る焦点もただ一つだけ
戦車に踏みにじられる街のがれきを
指をくわえてカメラを見つめるやせこけた少年を
忘れることが出来ない心は確かにヒトが持つべき心
でも抱えきれない悲しみの重さは分不相応の心に思えて…
目をそらして忘れようとする
目の前の楽しみに己を委ねようと試みる
…それなのに心の奥底で許してくれない叫びが響く
…無駄な努力でも何もしないよりは遥かにましだと心がうずく
地球は回る 時は流れる
めぐり来る夜に仕方なく僕は一日を終える
また眠れない夜が来る
そして僕はまた僕の一日を許せない
2006年7月30日
明日から吹く緑色の風に
忘れかけていた願いがよみがえる
誰もが心で求めているのは 愛
優しさ そして希望
繰り返される愚かさや過ちよりも
はるかに大きな愛を忘れずにいよう

人間はまだまだ小さすぎるね…
はるかな空からそそぐ光に思う
2006/10/07
昔の詩のイラストを修正して再掲
GWも終わりましたね。
今年は仕事がらみで京都でした。
嵯峨嵐山でちょっとした研修です。
少し、時間が空いた時に、近くのお寺や、渡月橋のあたりなど散策しました。
ツツジがきれいでしたね。赤に白に紫に…。
ちょっと、詩をひねり出すには、頭(心?)が仕事モードでしたが…。
とりあえず今日はイラストだけアップしておきます。

5月5日はこどもの日、そして、そのすぐあとには母の日があって、5月は家族のきずなを思い出させてくれる月。
単身赴任で、いつも離れて暮らしているけれど、やっぱり心の一番深いところで支えてくれているのは家族。
その家族の絆を疑うほどに悲しい事件が続いているけれど(…先日はわが子を熱湯につけて面白がる母親の記事がありました…)、だからこそ、このひとつひとつの記念日を大切にしたい。
今年も、いい歌が出るのかな。
去年はSEAMOの「MOTHER」という曲が良かったな。
小さな体に小さな手 白髪も交じり丸くなって
しかし僕には何よりも大きくて
誰よりも強くて
支えてくれたこの愛 だから子供にも伝えたい…
僕のこころからも、素敵な歌が出てくるといいのだけれど…。
最近、なかなか詩を書く時間がありません…。
届けられるかな。大事な想いを。

ジョバンニは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる主人公の名前です。
ジョバンニにはとっても仲良しの友達カムパネルラがいました。でも、カムパネルラは溺れた友達を助けようとして川に流され、銀河の星になってしまいます。
その同じ時刻、眠っていたジョバンニの夢にカムパネルラがあらわれ、一緒に銀河鉄道で旅をします。
二人の最後のやりとりは、こうです。
ジョバンニが云ひました。
「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんたうのさいはいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一 諸に進んで行かう。」
「あゝきっと行くよ。あゝ、あすこの野原はなんてきれいだらう。みんな集ってるねえ。あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにゐ るのぼくのお母さんだよ。」
カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。
「みんなのほんたうのさいはい」…すべての人の本当のしあわせのために…。僕の身は何度焼かれても構わない…。
ジョバンニはカムパネルラと約束をします。そして、どこまでも一緒に進んで行こう…と。
カムパネルラは、その友のために命を捨てました。
僕にも、何人かのカムパネルラがいます。
とても清い魂をもった人ほど、早く天に召されていくのでしょうか…。そんなふうに思わざるを得ないほど、大切な尊敬すべき友を見送ってきました。
そのたびに誓うのです。どこまでも僕たちは一緒にいこう。すべての人の幸いを探しにいこう…と。
でも、生きているこの身の弱さも同時に感じます。気づけば、自分が愛おしく、誓いに背いている自分がいるのです。
だから、Giovanni’s Blogと名付けました。
僕の大切なカムパネルラたちを忘れないように…。

giovanni