日本を家族に例えれば…

今日は平和大使の任命を受けた方々を対象にしたUPFの理念を紹介するセミナーに参加した。

UPFの平和の理念は「One Family Under GOD」に集約される。ポイントは二つ。「家族主義」であるということと「神様中心」ということ。

「家族主義」というと、なんだかこたつを囲んでみかんを頬張っているようなほんわかとしたイメージを抱く人も多いだろう。確かに、家庭は安息所であり、互いに愛情を尽くしあう心癒される場所である。
しかし、その安息所は自然に出来上がるものではなく、その構成員一人ひとりが葛藤を超えながら互いを理解し、愛し、慈しむ努力を重ねなければ成立しない。
「家族主義」には「葛藤の克服」という厳しさが伴うのである。

また、家庭には父母がいて、子女がいるが、父母は子女を慈しむだけではなく、厳しく鍛錬する。なぜならば、親は子供より先に死ぬからである。
自分の力でしっかりと生き抜き、人の世話になるのではなく、貢献できる人間に育てるために、決して甘やかしてはならない。

さらに、家庭を脅かす様々な危険がある。自然災害のみならず、不注意から起こる火災や事故、犯罪に巻き込まれる危険、流行の病や経済の不況。
そんな中で、特に父親は常にその危険に目を光らせ、何かあった時のための備えを万全にしなければならない。

これらのことが「家族主義」という言葉には内包されており、それを国家、世界にまで適用しようというのが「One Family Under GOD」である。
では以上のようなことを国家にあてはめてみるとどうなるだろうか?

もし日本が「家族主義」に立っているならば、すべての構成員が、この家庭が安息所になり、愛に満ちた場所になるために、自制心をもって葛藤の克服に臨まなければならない。
時には真剣に向かい合い、議論することも必要だ。しかし、その根底にはお互いとしっかりつながった絆がなければならない。そんなふうに愛し合えているか?

また、教育や鍛錬についてはどうだろうか。為政者たる者、国民をしっかりと教育する義務がある。それは国のためであるとともに、国民一人一人が誇りある人生を送るためである。
戦後の農政、現在問題になっている生活保護者の急増。これらは、本当の意味で人間を尊重した施策になっているのか?
票を集め、人気取りをするために迎合する政治家は、子供のご機嫌伺いをしながら生きる愚かな親と同じだ。
手厚い保護を受けなければ成り立たない農業は、遅かれ早かれ行き詰る。見捨てろ、というのではない。国際社会の厳しさを教えたうえで、そこで生き延びることのできる道を必死で切り開かせなければならないのではないか。
生活保護も同じである。最近、ついに生活保護の受給者の数が第二次大戦後の最悪期を超えてしまった。文字通り働けない人も含まれているが、「働かない」人が相当数含まれている現実を無視はできない。
「生活保護」をもらいながら、のうのうと遊興にふける者たちをほおっておいていいのか?それは「家族」にどれほどの重荷となるだろうか。そして、その人たち自身は本当に幸せだろうか。
これは、悪平等と節操のない垂れ流しで、厳しい鍛錬を怠った結果である。まさしく「甘やかして」しまったのだ。

更には、危機管理の問題がある。
今まで日本はアメリカの軍事力におんぶにだっこで守られてきた。隣の家が警察官だから…とあぐらをかいて暮らしてきたのだ。
しかし、日本の周囲、あるいは世界の状況を見てみれば、今、どれほど多くの危機があふれているだろうか。
首相をはじめとする政治家は、国家においては父のような立場であるが、その人々に、しっかりとした危機感があるか、また、それに対処する能力があるか。
それを考えた時に非常に心もとない。

コメントする

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s に接続中

フォロー

Get every new post delivered to your Inbox.